夜参り真言 平成27年2月10日

夜参り真言 平成27年2月10日

夜参り真言    平成27年2月10日

拝殿

三輪の神の心の奥に進むが良い。疲れし者よ、三輪の闇にて暫し憩ふがよい。力を抜き給へ。怒る心を鎮め給へ。悲しむ心を流し給へ。和魂であるぞ。和魂、和魂を忘れることあるまいぞ。心も躰も和魂であるぞ。

解説


り一遍の表面的な祈りではなく、心の気脈を繋げるというつもりで、三輪の神の奥の処まで進みなさい。そして三輪の闇の中で暫し憩いなさい。闇には物が見え
なくなる闇もあるし憩いの闇もあるが、母胎の中の闇である三輪の闇に憩いなさい。心の緊張を解いて憩いなさい、そうすると良い考えも浮かぶ。

光と闇は難しいテーマで、光は物を明らかにするという作用があるが、明るければ全部見えているわけではない。眺めているのと見ていることとは違う。見ようとする心があって、初めて物を見ることが出来るそして、未知の領域に本当の光を当てることになる。

明るいところでも見えないのを明る闇という。

この見えているつもりで見えていない洞察力の無さは怖い。

基本的には困った時には和魂を忘れないことが大切である。体力の無いも含め、共に仲間とお山することも、 和魂を培う大事な手段である。

神との和、自分と他の人との心の和これを

念頭においておく。

神宝社

心も躰も強く念じ過ぎてはならず。響かせるべし。

力を抜くべし。緩やかな心にて響かせるべし。僅かな力はやがて大きな力となるであ

らう。

解説

強く念じ過ぎると却って通じなくなり本質から外れてしまう。念じる時も祈る時も軽やかな方が遠くまで伸びる。祈る時感情を込めてと思いがちだが、逆であって、清くさらりと念じる。拝み倒すという形は感情が重くて遠くまで伸びない。

イスラム国のように相手に恐怖感を与えると必ずどこかで崩れる。

細い力でよいから山と自分との気脈を通じるようにすれば神は了解する。

合唱と同じで夫々の僅かな力でも、それぞれの気が合わされば大きく響く。個人の祈りに対しても、やがて風が吹き、水が流れるようにそのうち定められた場所に行きつき、大きな力となる。軽やかに、但しすぐにとは期待しない。人間は長い道程で安逸になると考えなくなるので、苦労はすること。多少苦労すると器は段々大きくなる。

狭井神社

立つるとは国を立つるとはそなたたちの心と躰を立つることと同じ。そなた達の心と躰を立つるべし。なかんずく心を立つるべし。心こそ神に通ず。躰は心を宿す社、穢すべからず。三輪の黄金の杉のやうにしつかりと立つれば揺らぐことはなし。揺らぐやうに見えるのはそなた達の心である。神とその方達の心を結ぶ金の杉の揺らぐことはない。祈りに心を載せ軽やかに。

解説

国も人が支えるものであり、人はまた心が支えるもの。三輪の神と我々は黄金の柱でしっかりと繋がっているので揺らぐことはない。揺らいでいるようにみえることがあるのは、神が我々を見捨てるのではなく自分の心が揺らいでいるからである。

人間は未知の分野では必ず不安になるものだが、自分と神との柱をきちんと立て、安心して進みなさい。

神と気脈が通じる為には恐れ、怒りなどはそれを阻害するのでなるべく流して行く。

一期一会のつもりで軽やかにおまいりする。

「追加」翌日の夢中の啓示

身体の声を聞くべし。身体の各部にも心は宿る。病みし部分の声を聞くがよい。いたわるべし。

病を治山とする者よ。祝詞の如く気脈を通ずるべし。

解説

人は大きな困難にぶつかると、身体が悲鳴をあげ、頭痛、腹痛、下痢、不眠などの身体の不調和を訴えるようになる。病の源を知り、「天地の神と同根であるが故に万物の霊と同体なり」をよく念じ、気脈を通じるようにするのである。