夜参り真言 平成27年3月3日

夜参り真言 平成27年3月3日

夜参り真言    平成27年3月3日

 

拝殿

雨の音 雨の音 雨の音によりて心の穢れをすべて流し給へ。いつまでも心に穢れを残して何とする。流し給へ。流し給へ。

この降る雨の如くに流し給へ。今思ふて悩み居ること、心に留まり居ること、躰に現れたる病変は汝らの一番弱いところである。

その源を考へ、流すがよい。

怒りではなく、悲しみではなく、労りて流すのである。唯ひたすらに流すがよい。

心病める者よ、三輪の山の内に入りて憩ふがよい。

 

解説

三輪の神はあらゆる天候事象を通してそれなりに配慮してくれる。今夜の夜参りのように、雨が降るのも今年の3月は花粉と黄砂が強いから少しでも楽になるようにと言う配慮と、またもうひとつには雨によって穢れも流してしまいなさいという意味もある。

雨はほとんど禊の意味が多いので自分のネガテイブなものを少しでもきれいにしていく。拘泥り事があってもこの雨の音に流してしまいなさい。流さないでその拘泥りをいつまでも持っていてもプラスにはならない。

心に思っていることもそうだし肉体に於いても一番弱い病変をできるだけ流してしまいなさい。そこに気がまったりしているとその人の運を損なうのでできるだけ流した方がよい。心にしろ躰にしろ病んだ処を何故このような病気になったのかと悲しむのではなくその病んでいる現象を労わって流していくようにしなさい。

流す時にこれで流れたおしまいというわけにもいかないから、それを繰り返し少しづつ流していく必要がある。

病んでいる人は辛いと思うなら三輪の山の中に来て憩いなさい。忘れなさいではなく、流しなさいと言うことは物事をよく理解して、とるにたらないことだということをしっかり意識して捨て去ることをいう。ただ忘却せよというのではない。忘却はどこかに残るので又同じ経験をした時出てくる。

3月は荒っぽい時だが、これを過ぎると桃、桜が咲く良い季になるのでその前触れとして春の嵐(ゲルトルート)を超えていくというつもりで進む。嵐も使い道があるので拘泥りを流してしまうのが良い。