三輪山の神縁 その1 

三輪山の神縁 その1 

三輪山の神縁 その1 

三輪山の神縁を語る前に、「縁」とはいかなるものかについて話をします。「縁」とは本来仏教における用語であり、「因果」が直接の原因と結果であるのに対し、「縁」とは間接的な原因やその結果を成就させるための条件を意味します。例えば仏陀のような豊かな才能と叡智をもった人を考えてみましょう。仏陀の肉体としての「因」は当然両親ですが、仏陀を仏陀として成熟させた条件、つまり「縁」は生母の早い死の体験やその当時の家庭・社会環境によって生じた無常観です。この無常観から脱するために彼は解脱への修業を始めたのです。極端な話ですが、もし仏陀がジャングルの中で生まれ、それこそ狼に育てられたり、または一般社会から隔絶されて育ったとしたら、仏陀としての人格形成は不可能だったでしょう。彼が生まれた環境の中で成長するにつれ、種々の「苦(思い道理にならないこと)」を体験し、後にそれらの「苦」を分析して「四苦八苦」としてまとめます。「四苦」とは生・老・病・死で、生まれてくる時も両親や環境を選べませんし、老いてゆくことも避けることができません。またどんなに頑健な人でも病気や怪我をしないで生を全うすることはできません。そして生あるものは死をまぬかれることはできません。後の「四苦」は愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離する苦、怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会う苦、求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られない苦、五蘊盛苦(ごうんじょうく) -五蘊(人間の肉体と心)が思うままにならない苦。これらを合わせて「四苦八苦」といいます。この「四苦八苦」から解脱する過程で、悟った真理の一つが「因縁生起」の原理です。つまり一切の事物は固定的な実体をもたず、様々な原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立していることを悟ったのです。ですから人は良い「因」と良い「縁」に恵まれ、本人がその道に努力すれば良い結果が生じやすくなります。具体的に言えばよい家庭に生まれ、理解のある両親や良き師や良き友に恵まれ、本人も努力すれば良い成果を得やすくなります。逆に悪い「因」と悪い「縁」のしがらみの中に落ちれば、つまり家庭環境が悪く、悪い友達が多く、良き師に巡り合わなければ、本人が努力してもなかなか悪い環境から抜け出せず、良い成果を得にくいということになります。しかしどちらの場合においても前向きの努力は必須です。良い環境に恵まれても前向きに努力しないで、その環境に甘んじていれば良い因縁が消滅してゆき、暗転してゆくことになります。逆に悪い環境にあっても前向きの努力を続けていけば、やがて悪い因縁も消滅してゆき、人生が好転し、しかも強い人格が形成されるようになります。つまり「艱難汝を玉にす」とか「逆境、人を賢くす」となるのです。順風満帆できた人は一見運がよさそうに見えますが逆境に弱くなりやすいという欠点があります。そうかといってあまり逆境が長く続けば人は参ってしまいます子供の教育にも同じことが言えますが。実にこのあたりの塩梅が難しいところです。畢竟その人の強い心構えが大事ということになります。次に現実的な人の持つ因縁について整理しておきましょう。

 

1.血縁:両親、兄弟、祖父母、親戚など最も基本となる縁で、幼児から成人するまで最も強い影響を持ちます。習い事や学校の選択、躾け、教育など、両親の考え方が絶対的影響を持ち、特に音楽や古典芸能などの芸術やスポーツの世界では幼少時から、その方面の教育や訓練を受けるか否かによって、将来大きな差ができることになります。私の例で言えば、漢方の世界に入ろうと思ったのは、父の影響であり、鍼灸学校に行こうと思ったのは、母が病弱であって、小学校に上がる前から肩もみなどしていたことと病弱な母の身体を楽にしてあげたいと思ったことによる。

2.友や師との縁:人が成長してゆく過程において、血縁の外にありながら大きな影響力を持つ縁です。自分の好みや志向などは友達らとの交友の中で芽生えてゆくものであり、師は自分の人生の方向性を見出したり、困難に直面した時の良きアドバイザーとなるからです。

3.社会人としての縁:仕事や趣味や宗教、結婚などを通しての縁がこれに当たりますが、組織的なものになると、学閥や社交クラブなども入ります。最近では異業種交流会なども行われています。

4.霊的因縁:これが目に見えないので、もっとも厄介な因縁です。人間には確実に輪廻転生があります。そして霊なるものも確実に存在していると言えます。だいたい人の魂というものは子供などの場合のように亡くなってすぐに転生する場合もありますが、普通は3百年から5百年ほどかかるようです。そして誰でも最低2,3体の背後霊付きとなります。この背後霊の多くは先祖であることが多く、大体において出来が悪く、仏教的に言えば成仏できず、転生もできない者たちです。言わば血縁の魂が転生してきた時に乗じてついてくるもので、本体の魂と性格や嗜好が似ているので、非常に判別しにくいところがあります。ただ彼らは本体が冷静な時はめったに顔を出しません。彼らが顔を出すときは、本体の感情が高ぶっている時や、アルコールなどで酔っ払て理性が弱くなっている時です。アルコールが入ったり、怒った時に性格が変わって、自分の言動をよく覚えていないという状況の時に本体を乗っ取って憑依して出てくるケースが多いのです。この背後霊を自分の守護霊と間違えて心も身もゆだねるとえらいことになってしまいます。それは彼らが失敗した人生を本体の身体を使ってもう一度繰り返そうとするからです。例えば何度も手術を繰り返す人の多くは武士の背後霊が多く、幾たびか刀傷を負っている霊です。このような背後霊は後天的についたものは除けても、先天的についてきたものを取り除くことは大変難しいのです。彼らを自分の修行としてよい方向に教育して行くことが必要です。彼らの性格を知ることは難しくありません。彼らはいつも同じ失敗を繰り返しますから、自分の過去を振り返って、いつも同じようなケース、癇癪を起こして物事が成就できなかったり、失敗するパターンを分析すればよいのです。そしてその時の感情の突出を抑えて行動せず、高ぶった感情が去ってゆくのを待てばよいのです。                    2017.2.24