三輪山の神縁 その2 

三輪山の神縁 その2 

三輪山の神縁 その2

三輪山は『古事記(712)』や『日本書紀(720)』に記載される日本における最古の神社であり、その来歴は伊勢の神宮や出雲大社よりも古い。ご祭神の大物主大神は大国主命の守護神とも大国主命の同体異名ともいわれている。そしその名の示す通り、大いなる力を持つ物とたたえられた日本で最も強力な神である。上記二書に記載はないが、三輪山において私が雷大神より聞かされたことによれば、その大局的な働きは伊弉諾大神、伊邪那美大神、雷大神と連動して、伊邪那美大神を黄泉の闇から救い出し、伊弉諾大神、伊邪那美大神の二神が並び立つ日本国の創始の時に戻し、日本国を護ることにある。そのために古来より三輪の神に縁ある者が三輪山に集められ、その由縁が口伝えに伝承されてきたのである。それ故、今三輪山に集う者たちは縁の濃さの程度はあれ、過去幾度かの魂の転生の中で三輪山に係わりをもった人たちである。

三輪山と縁をもつ者たちはまず為さねばならぬことがある。それは自分たちが三輪の神の心に添えるように心を鍛錬することである。その基本は和魂であり、自分の心の調和であり、神との調和、他者とのかかわりを美和とすることであり、その絆は強く三重の輪、つまり三輪とするように努めなければならない。迷う時は、もし自分が三輪の神であったなら自分に何を望むだろうかと考えてみればよい。自ずと道は見えてくるであろうし、また神が導き、助けてくださるだろう。 自分が何をしてよいかわからぬ時は、今与えられている道をしっかりと歩むことである。そして自分の心の内の神のありようをよく見るのである。そして三輪の神と自分との間にしっかりと絆ができたと確信できれば、自然と道がひらけてくるものである。私はかって三輪の山中で次のように聞いた

 

「神がお前に何を求めるかを知る前に、お前が神に何を求めているのかを知りなさい。なぜ求めるのか?なぜ求めるのか?その時、それに気づく時、お前は神がお前に何を求めているかを知るであろう。西に動く時も東に流される時も動く心は無いと思え。輝く星に何を求めるのか?求めるその心こそ空しいとおぼえよ。輝く星こそ美しい。その美しさを人は見る。眼で、肌で、心で、それでよい。それでよい。力ではない。力ではない。力ではない。人は力で動くのではない。人を動かすのは権力ではない。何か?それが何であるかを求めなさい。知りなさい。そして動きなさい。気づく心の闇は晴れているか?気づく心の曇りは消したか?気づく心をなぜ避ける。」

 

一例をあげれば、今多くの仲間が短歌を詠み、大神神社においても「三輪山まほろば短歌賞」が平成16年に設けられ、毎年11月3日に拝殿において献詠祭が行われるようになった(ちなみに今年の詠題は「空」である)が、そのきっかけとなったのは、尾崎左永子先生の『星座』発刊によるが、その尾崎左永子先生との出会いは1988年9月に「国際香りと文化の会」より発刊された雑誌『Vnus』による。この 「国際香りと文化の会」というのは島田、木内、根本が中心となり、それに高砂香料、資生堂、西武デパートのなどの協賛を得て作ったものであるが、その機関紙『Vnus』第1号発刊の折に、島田と木内が尾崎左永子先生に取材をしに行くという話を聞いたので、僕も混ぜてもらって、一緒に取材に行ったことがきっかけとなった。ではなぜ僕が彼らと同行したかと言えば、その2年ほど前の新聞記事に「相聞歌」の特集が組まれ、どういうわけか、尾崎先生の記事が気になり、その部分だけ切り抜いて持っていたので、がぜん興味をもったからである。その伏線としてあったのはさらにその数年前に三輪山で聞いた次の言葉が気になっていたからである。「伊弉諾大神と伊邪那美大神の造りし大和の国はうるわしきところ多々あり、大いに歌い愛でるべし」と。この頃、三輪に来ている仲間で短歌をやっていたのは名取さんと羽生さんだけであったから、その二人に「三輪の神様が歌を作って伊邪那美大神の作った大和の国を愛でなさいと言っているから、二人で頑張ってね」といった記憶がある。まさに振り返ってみれば、三輪の神様の言霊が端緒となって『星座』に参画し、やがて「三輪山まほろば短歌賞」ができたのである。まさに「初めに神の言葉」が言霊となって縁を結んでいったのである。 人の場合もほぼ同じである。さりげなく心より発した言葉が言霊となると神にも届くし、いろいろな人との縁を結んでくれる。良き思いから発した言霊は良い人の縁をはぐくんでゆく。しかし悪しき心より発せられた言霊は悪しき縁を助長しやすいものである。また良き人からの紹介者は良き人であることが多く、トラブルメーカーの人からの紹介者の多くはやはりトラベルメーカーとなりやすいものである。

29年3月25日