復活の一歩

言霊について1

 復活の一歩

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集合写真

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《言霊について1》 はじめに

4月18,19日と久しぶりに三輪山を訪ねた。トレーニング中に大腿骨を折って入院したのが去年の10月20日、11月の献詠祭を欠席し、何とか12月30日に訪ねて以来のこととなった。皆と一緒に久しぶりの夜詣りをし、翌日少しだけお山に入ることができました。

皆をお山の入り口で送った後、久々に鈴木宮司様と2時間ほどお話ができた。宮司との話の中で、僕がここ1,2年中に復刻出版する予定の『真本大同類聚方(しんぽんだいどうるいじゅほう)』の話になった。本書は日本に漢方が渡来する以前に、国内に存在していた処方や薬物について、桓武天皇の遺命により平城天皇が勅を発して、各地の神社や豪族の家に伝わっていたものを集めたものである。話しているうちに、大神神社と出雲大社と横浜薬科大学の三社で共同出版しようと言うことになり、出雲大社には鈴木宮司が話をすることとなったのである。

これもまた言霊の妙である。

 

古典における言霊 『萬葉集』の3254番の歌「志貴島の大和の国は事(言)霊の佑(さき)はう国ぞま福(さき)くありこそ」と柿本人麻呂が歌ったように、話す言葉にその人の心が宿り、さらに神が宿ると、特別に意図しなくとも事が成就するようになるのである。言霊の「言」は物事の「言」に通じ、「言」が「事」になるのである。

また山上憶良も894番において「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけりー」と歌っているのも同じで、この大和の国においてはことさら神の言霊の力が強く、よき言霊は幸いを招くというのである。

 

『聖書』のヨハネ伝の冒頭の一句「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」の意味も山上憶良の歌の意味と同じといってよい。

もう少し人間味を帯びた言霊としては、道元の『正法眼蔵』の中に「愛語摂」というのがある。「知るべし、愛語は愛心よりおこり、愛心は慈心を種子とせり。愛語はよく廻天の力あるを学すべきなり」つまり慈愛から発せられた言葉はよく通り、人の心を動かし物事を成就する力を持つというのである。

 

自分の意思を言葉に込めて発することを「言挙げ」というが、この場合も愛語と同じように慈愛の心が元になければならず、自我や慢心から出た言葉は言霊とはならないので気を付けなければならない。要は良き心を根底において発せられた言葉には神の力が加わりさらに一そう力が増すのである。そして言葉を発する時は力を込めすぎないでさらりと発するのが良い。言葉に力が入り過ぎると、言葉が重くなり、遠くまで響かなくなるからである。言霊は軽やかなほど、さりげなく人の心に入りやすく、また神にも届きやすいのです。困ったことがあれば神に祈ってよいのですが、情を入れ過ぎないように注意して。 三輪の言霊  かつて私は三輪のお山の中で言霊についてこのように聞いた。「予言する力は与えません。予言により多くの人が集まるでしょうが、神はそれを求めません。多くの人があなたをつぶすことになるからです。言霊にこそよりなさい。言霊の力は無限です。言霊こそ使いなさい」と。