夜参り真言  平成29年11月2日

夜参り真言  平成29年11月2日

夜参り真言  平成29年11月2日

 

何が幸であるのか。何を求めて生きてゐるのか。よくよく己の心の底を見るがよい。

三輪の神である。三輪の山はあまねく神々がより集ふところ、心を一つにし、迷ふではない。山と心を一つにすべし。その先に幸が見えるであらう。

玉ゆらの導きにのみ従ひたまえ。

 

解説

何が本質的な幸なのか。生きてきて三輪に縁があって集うからには、それぞれの役目がある。人により大なり小なりそれに沿った生きがいが出てくる。それに向かって進みなさい。

どれがその人にとって本質的な仕事なのかよく見なさい。

上を見ればきりがないし、不安もいろいろあるが、少なくとも昼食中に銃撃を受けたり、歩いていて地雷を踏むことはないので、

まずは日本に生を受けただけでも感謝しなければならない。

明日の献詠祭の奉響会や巫女舞は日本最古の神社で行うという意義と価値がある。

また今、大神神社に関わる三輪山を詠った短歌を万葉集、八代集(古今集以下、平安前期から鎌倉初期までに撰進された八つの勅撰和歌集、すなわち古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集の八集)から選んで日本の短歌史上の総揚げをしていて、それを能楽堂設立の

三輪の記念出版とすることになった。

これに携わることは不易のご褒美をもらうことでもある。

今価値観が多様になっているから本当の意味合いがよくわからなくなっている。

何が本質なのか、何が大事なのか、それをよく心に問いなさい。そして三輪の山に心を合わせなさい。その時三輪の山と神と自分の心が一致した時自然に玉ゆらの導きが出てくる。

玉ゆらとは本来は雨後、杉などの梢の先に水滴が下がってイルミネーションのように輝いている状態をいい、振動や蒸発で消えてしまう。玉ゆらが存在している間が玉ゆらの時間であって、それを見る心がないと玉ゆらに気がつかない。美しいものを見る心があって初めてそれに気づく。目先のものに惑わされないよう、どれが本質か、自分の道標であるか、見ていかなければならない。心を澄ませば必ずこころの導きの方向が見えてくる。それを辿っていらっしゃい。そうすれば三輪の神の懐まで入っていくことができる。しかし努力なしでは叶わない。心を一つにして玉ゆらの導きに従って道を歩いていくのである。神は簡単には教えてくれないので、試行錯誤して努力することが大事である。

 

拝殿

心は闇にありても必ず玉ゆらの導きはあると思し召せ。

いたづらに考えるのではなく、三輪の山と神を信じ玉ゆらの導きに従ひて進むのみと覚えよ。

解説

自分が闇に堕ちて目が見えなくなっていると思っても、心を澄ますと、必ず自分の心の中に光っているものが見える。その方向をしっかり見定めなさい。

困った時には三輪に心を合わせ、答えがでなくても、三輪の方向に歩いていく。そうすると必ず道しるべが出てくる。誰でも順風満帆はありえないから、三輪の神を信じきることによって正しい道に導かれる。

その時大事なことは理屈ではなく心を合わせることである。

そうした時、理屈をこえた奇しきことが起きる。だから重点は心を山に合わせ、悩む時は山の杉の大黒柱と自分は一体に繋がるという絶対的確信を持つこと。形からでも入ればよい。

形から入るように努力していくと、そこの心棒さえ揺るがなければなんとかなる。

不安、あるいは迷った時こそ心を三輪に合わせればどう行くべきか自然にわかるようになる。

神のしん(神)心のしん(心)身のしん(身)信ずるのしん(信)は全部同じ音霊、言霊で繋がっている。神・心・身・信これが、一本とならなければならない。そうした時に新しいしん(新)が生まれる。