今月の真言 平成26年9月9日
夜参り真言 平成26年9月9日
「拝殿」
いづくにか いづくにか幸あらん。
月は雲の狭間より光を差し込ませるであらう。
光の行方にこそ幸あると思し召せ。
闇の心を祓ふべし。光を心の隅まで入れるべし。
解説
三輪神道に於いては闇と光を大事にしている。通常
闇は悪いがいい闇もある。光があたることによって、漠然としていることがはっきりしてくるのである。
気持ちが鬱の時、一番の原因は何か、書き抜いてみてそれを理解することが光をあてることになる。不明というのが闇でそれに光をあてることによってはっきりさせる。
光をあてた時、自分が悩んでいる闇が、意味があるかどうかがわかるようになる。沢山塵が溜まってくると重くなり鬱っぽくなるのでどうでもよいものは棄てる。普通の闇と光はこのように理解する。
光が全部いいかというとまやかしの光もある。一見あかるくて全部見えているようで光によって、本質が見えなくなってしまう=明る闇である。
見えていることが、本当に見えているとは限らないのであって、見るという意識が生まれ、心が入って初めて見ることになる。
闇が全部悪いかというとそうではない。例えばずっと
明るいと熟睡出来なくなり、一定時間光の中に居たら一定時間は闇が必要になる。
光と闇の時間が必要であって、その場合の闇は恐怖ではなく、母胎にある時のような安らぎの闇である。
自分のことを理解してくれる人が側にいると闇中にいても一つの光があることになる。
基本的には分からない事が恐怖感を誘う。心を鎮めて闇を分析してみるとどこかに光が見えて来る。
悩んでいる時、輝いている人の意見を聞くことも大切であってそうするといい方向に導かれ、輝いている方に進路を合わせることが出来る。闇にある人を助けようと蜘蛛の糸を垂らしても、その人にぶらさがって行こうと思う気持ちがないと駄目である。
常に見る目を持ってニュートラルしておくことを心掛ける。冷静に見る目を持って光のある方向に進む。
もう一つ見えないもので注意することは自分の心の中に考えたくないというものがあることである。
例えば慰安婦問題にしても韓国の場合は小さい時からの教育で自分が思い込んだ歴史が正しいと思って
しまう。それは本当のグローバルな歴史ではないことが、いろいろな情報によってわかってくるがそれには時間がかかる。