今月の真言 平成26年10月7日

今月の真言 平成26年10月7日

夜参り真言 平成26年10月7日 

「拝殿」

罪 穢れあまたあり。病もあまたあり。すべての病の源を人であるそなたたちの知ることあたはずといへど それぞれの思ひあたる罪 穢れがあらんをばことごとく一つ一つ祓ひつづけて行くべし。一歩一歩山の磐座に向かって歩めば頂きに着くのと同じやうに祓へば祓ふだけ身と心は清くなるであらう。

三輪の神に言霊を発するべし。祈るべし。祈るべし。

解説

罪と病の関係についてことごとく人であるそなたたちが知ることは無理である。しかし自分で氣づく穢れについては祓っていきなさい。そうして、一歩一歩

お山して行けば、必ず頂きの磐座に到るように、心身は清まっていくであろう。すべての病が治るわけにはいかないが、身と心は清まっていく。

穢れを祓って祓いきれない時は三輪の神に祈りなさい。三輪の神に言霊を発しなさい。

「神宝社」

心を広げるべし。神と接ずる心を開くべし。寛容の心は神に通ずるであらう。揺らぐことなく狭き心を広げるべし。開いた先に幸があるであろう。

解説

心を出来るだけ広くしなさい。広い心こそが、神に繋がっていく。広い心とは寛容な心、いろいろなものを許せる心が大事、許容量が狭すぎると神に心が通じにくくなる。心を広げようと努力していけばその先には幸が見えてくるであろう。要は感情のキャパシテイが狭いことへの注意。人は命をもって生まれてきて、修行しなくてはならない。肉体を離れた魂だけのあちらの世は時間がほとんどない世界だから心は発展しにくい。

祈りとは何か、人の為に祈る事は、長いスパンで考えてみると自分のためでもある。「情けは人のためならず」の諺があるが、人のために陰徳を積むことによって最終的には自分のところに福が循環してかえってくるものである。人の為に祈るそういう心は神と繋がりやすい。

ほどほどの苦があって、それに対応していくことで心は進歩し、その先に本当の幸が見えてくる。

(言霊が音霊となって人を動かした話)

昭和27年フィリピンのモンテンルパの丘の収容所内で(死刑囚59名を含む111名)作詞、作曲された曲をビクターを通じて渡邉浜子が歌い、当時国交がなかったので、大統領アキノ氏の父と交渉して尉問に行けるようになった。そして収容所で生きる支えとなった大合唱が大統領に伝わり、心を動かして全員赦命された。

歌による力、即ち言霊と音霊が一緒になって影響を与える大きな力となったのである。

2千年まえに書かれた聖書がベストセラーになって言霊として長期に亘って人に影響を与えている。

言霊こそ発しなさい。よき言霊を発するコツは力を入れないで軽やかに!その方が相手が構えないで、遠くに響く。

交渉事もバイブレーションである言葉は相手の心の中で振動して残り、何かのきっかけでそれが動き出すのである。エネルギーが心の中である一定以上増幅してくると、言葉が行動になり具現化するようになるのである。

言葉に心を重ねることによって無から有が生まれてくる。自分にとっても相手にとっても軽やかな言葉は響きやすく力となりやすい。

聖書に「初めに言葉ありき、言葉は全てのものの命であった」とあるように、心を宿した言葉こそすべてを動かす原動力なのである。

言葉は記号でなく一つの文化である。言葉に心を込めることによって、言霊となり響いていく。能力を超えて動くのが、音霊の響きである。言霊を充分に使いこなすようになればよい。言霊の延長上にあるのが、祈りである。祈りは小さくても声に出して神に捧げる事が大事である。