今月の真言 平成26年11月2日

夜参り真言    平成26年11月2日            

「拝殿」

雨の音 雨の音 雨の音

音は音霊、一字のこと。歌も音霊、言葉も音霊。伊邪那岐命 伊邪那美命のこの大和の国に

あまねく響かせるべし。心があらぶれば発する言葉

もあらぶる。言葉に良き思ひを載せて良き心を詠ふべし。

すべてはにより巡る。三輪山の神の縁に集ひし者達、三輪の山に心を合はせ伊邪那美命に届くやうに詠ふべし。

しばしこの雨の闇に憩ふべし。

解説

音とか言葉は人を動かし神をも動かす。       

エネルギーの媒体は音である。音霊とは神に響く音

人の心を動かす音を言う。言霊はどういう言葉を使うと神に通じて、人の心も動かすかである。言葉が能弁というより朴訥であっても、その言葉に心を込めることが大事。情を込めると重くなり過ぎて、動きが悪くなるので軽やかに響かせることが大事である。言葉に心が宿ることを言霊という。自分が望むことを言霊として響かせておく事が大事。よき言霊はめぐり廻ってかえってくる。聖書のヨハネ伝の冒頭にある「言葉は神と共にある。何によらずこれによらないものはない。言葉はすべてのものの命であった。」 

言葉に命を込め、心を込めるのであって間違っても感情は込めない。自分勝手な感情を入れても言霊にならない。

三輪山から教わった一番大事なことに「言霊」と「玉ゆら」がある。玉ゆらとは杉の葉に水滴(雨)が付いて晴れ上がった時イルミネーションのようにきらきら輝くものだが、見る心がないと気がつかない。玉ゆらは風が強く吹くと落ちてしまうし、陽が強く出ると蒸発してしまう神の玉ゆらは見る心を持っているとどんな闇であったとしても人生に於いて導いてくれる標識になる。情念が強いと見えないから、軽やかな心が大切である。情が入って頑固になると聞き逃がすので、ニュートラルに聞く必要がある。感情で嫌いとなるとそこで運命が閉ざされてしまう。心があらぶれば発する言葉もあらぶってくるし、あらぶった言葉は己に還ってくる。歌は旨い下手でなく、三十一文字が日本文化の原形にあるので、それに自分の心を載せて詠う事が大事である。

すべては縁に依る。ここに集っている者もどこかの生まれ変わりの時代か、どこかで三輪山に縁のあった人なのである。縁は自分の意志によるものではなくて、神が漠然と「おいで」という響きを出してそれに引かれ、その時、人の心を動かすのである(人が人の言葉として介在することはあるが)。良い縁を伸ばし悪い縁を切ることが、大事である。トラブルメーカーからの紹介は皆トラブルが多い。偶然の縁で出会い、偶然で触れ合い、長く続く人もある。強い縁にするかどうかは、その人の強い意志に掛かってくる。自分が三輪に来たのも強い縁があったからである。縁に向かって発信すると発展がある。しかし神に認められると仕事が増えるので、謙虚に、自我を出さないようにして、風に乗る感じで動くのがよい。捉われると自分の価値感に縛られるので、情を入れないで響かせるのがよい。

この雨の闇に憩うべし。は闇があるからこその光なのである。闇を経験しないと光がわからない。単なる強い光では人間を害するだけだが、闇と共存した光はいわゆる柔らかさがあって、ものを育む力がある。光の中ばかりでは疲れるので、この雨の三輪の闇に憩いなさい。

縁と言霊、音霊を忘れないように。音霊とは何か、

ものに感動する心。大切なのは時分の花を咲かせ

言葉に命をこめることである。