今月の真言 平成26年12月2日

今月の真言 平成26年12月2日


   

夜参り真言    平成26年12月2日

何事も祓へたまへ浄めたまへこそ思し召せ

人であるそなたたちが、全ての穢れを祓ふといふことは叶はぬこと。しかし神々があまねく集ふこの山に来るといふことは己の罪をことごとく祓うとする心が肝要。何事もすべて祓へである。祓ひたまへ浄めたまへ。その心をこそ祓ひ

身を浄めるべし。そなたたちの身は心を宿す

大切な器である。

粗末にしてはならぬ。

心せよ。心せよ。

解説

人であってみれば、肉体を持っているわけで、諸々の欲があるのですべての穢れを祓うことは出来ない。しかし山に来るということであれば、出来うる限り穢れを祓うとう気持を持つことが大事。何事も祓へが基本である。故にすべての穢レに対し、祓いたまへ浄めたまえと思い、これを忘れてはならない。全ての根源は祓えにある。どのような悩みの解決も基本的には祓えにある。自分が悩んでいる問題、考え過ぎてストレスになっている事は全て穢れであるからいつまでも引きずってはいけない。

その為に全部それらを書き出して捨てるものは捨て、長い間抱えてぐずぐずしているは良くない登山と同じで兎も角登って、尾根まで出て見る。そうするとそこから今まで見えなかった景色が見える。そして新たに見える道を更に進んでいけばよい。心の中の祓えをするということは生きていく上で色々な雑念、妄想、欲望が必要かどうかを判断することである。鶴は亀になれず、亀は鶴に成れずの格言があるが、それぞれの特性に応じたものを成していくということ。必要以上の妄念は捨てなさい。理屈が通っていても,ストレスがが溜まりすぎ心を傷つけている場合には捨てなくてはならない。余分なことを捨てることによってまず心を軽くする。心を軽くすることが神に近づく一歩になる。現在のように情報過多になると必要外の情報が出て来るので、その中から俯瞰して本質を摑まえることが大事である。躰というのは心が主体であって、見ることであってもその意識が働いて初めて見ることができる。漠然と眺めているだけでは見たことにはならない。