根元幸夫先生の連載が始まります

私の怪我と三輪山の神の啓示について

〔私の怪我と三輪山の神の啓示について〕           根本幸夫

私は昨年10月20日夕方5時頃、トレーニング中に自分の不注意から東工大の石段で倒れ、骨折して手術入院となりましたが、その前後に様々な啓示が三輪の神よりありました。

そこで私のことを通じて、人の運命と三輪山の神の啓示や教えについて述べておきたいと思います。 人の運勢において、自分の誕生日前後に起こることは怪我や病気、トラブル、そしてよいことも含めて、その後の1年を象徴することが多いのです。私の誕生日は3月10日。そして長男安人の嫁が5年の闘病の後に亡くなったのが昨年の3月1日だったので、十分気を付けていたつもりでした。ただこの時期、対外的にも多忙を極めていました。そして9月の三輪山の夜詣りの後、不思議な夢を見ました。自分の葬送の夢でした。

 

〈自分の葬送の夢〉

川の土手の上を、白い袴と草履をはいた白装束の一団が先頭の二人が南無阿弥陀仏の白い幡を竹竿につけ、その後には知らないが親族らしき一団が続き、その後に四人が私の遺体が入っている座棺を大きな白い布でくるみ、武輿を担ぎ、さらにその後に知らない知人たちが2列に続き、最後は太鼓や鈴を持った人たちが続きました。私はその自分の葬送の行列を土手の下から眺めていました。幸いなことに川は見えず、知り合いの人は一人もいませんでした。(川が見えたり、亡くなった祖母や父母がいたら具合が悪いのです) 行列は土手に添って下り、大きな山のすそ野の洞窟に入って行きました。私はその洞窟の中があの世に繋がっていると思い、急きょ山の裏側に回り、行列の先頭が見えたところで目が覚めました。 一般に葬儀の夢は悪い夢ではありません。多くは魂の浄化と進化を意味しますが、亡くなった人が多く出てきたり、川や花園、洞窟の夢は自分の身体に関する大きな注意信号です。

 

〈骨折事故〉

そして10月20日(木曜日)、9千歩ほど歩き、仕上げに東工大の40段の石段を20往復しようと思っていました。いつもと違ったのは、足首をカバーするバスケットシューズを、足首を鍛えるつもりで普通の運動シューズに変えていたことと、普段手すりのすぐ脇を上り下りしているのですが、たまたま手すりの両側にペアの男女が二組座っていたので、手すりから外れて上り下りしたことでした。中ほどの踊り場に着く4段上のところで右足首をひねり、斜め下方に倒れ、石段の角に腰をぶつけ、大腿骨頸部骨折となり、足を投げ出し座ったままの形で動けなくなりました。家内と長男にすぐ携帯で連絡を取り、救急車を呼ぶことになりました。救急隊員にもっこで運ばれ、救急車の中も横になれず、座ったままの形で病院まで運ばれました。私の長男は日ごろから私が無理をしすぎるので、転んで骨折したら、自分たちの所属のこの病院と決めていたようです。  三輪で見た夢のごとくに周りはすべて白衣の人、白い座棺は救急車を象徴していたのです。  手術はそう難しいもではないようでしたが、すぐにリハビリをやり過ぎたため、手術患部の骨が5ミリほどズレてしまい、3週間安静となり、入院が長引きました。僕が退院したのは11月30日でしたが、入院期間中に家内の母を含めて3人ほど一族の高齢者が亡くなりました。一族の運気全体が低迷していたのです。入院中に転倒して頭をぶつけ寝たきりになっている人も、足を切断した人も見てきました。葬送の夢まで見た自分が、これくらいの状態で助かったことは本当に幸いだと思う次第です。 退院してから家で自主リハビリをして、仕事に復帰したのは冬至早朝に伊勢山皇大神宮の三輪の磐座にお詣りした翌日からでした。

 

〈復帰してからの三輪の神の御神助〉―運気の回復 1

復帰してすぐは身体が慣れないこともあり、足の不具合がひどいので、家内に「少し落ち着いたら近くの温泉にでも行きたいね」と話して、間もなくクジなど当たったことのない家内が、福引の特賞「箱根宮ノ下の温泉スイートルーム一泊ペアご招待」を引き当てたのです。  私は64歳の時に横浜薬科大学の教授に就任しました、通常本大学の定年は65歳ですが、特別67歳までとなり、その後69歳まで定年延長となりましたが、それも平成29年3月で終わりとなります。しかし後継者が育つためには最低あと3年はかかるので、どうしたものかと考えていたところ、暮れに大学の管理責任者が面会に来られ、私の定年はさらに延長されることになりました。

 

〈私の不満に対する神の答え〉

仕事に復帰して、店頭でお山の関係者と話をしていた時に、葬送の夢で危険を予め注意してくださったのは有難いが、できればもう少し具体的に「石段注意」とか「転倒注意」などと知らせてくださればもっと有難いのにと話し、ふと左に振り向いた時に、後ろに積み上げていた本の山に肘が当たり、崩れて一冊の新書本が飛び出してきました。なんとその本の表題は『転倒予防―転ばぬ先の杖』(岩波新書)だったのです。ページをめくってみると、見開きに「謹呈 根本幸夫殿 平成二十八年三月 武藤芳照」とサインがあり、私の誕生日前後に、日体大の教授より寄贈された本だったのです。私の誕生日頃にこの本を頂いていたのです。つまり自分の誕生日頃にすでに啓示を受けていたのでした。さっそく三輪の神にお礼とお詫びをすべく12月30日に大神神社に伺いました。

 

〈結語〉

人は一生の間、すべて順風満帆というわけにはいきません。また三輪山にお詣りしていても、すべての厄災を取り除いてもらうわけにもまいりません。人の人生と運とは複雑に構成され、その人自身が過去に積み上げてきた結果もあるし、両親をはじめとする先祖たちとの因縁そして自分の周囲の知人たちの運も影響します。ですから良き身内や良き友を多く持つ人の人生は全般的に良いことが多くなりやすいものです。しかしあまり環境が良すぎると逆境に弱くなり、自分の人生形成にはマイナスとなります。ですから『平家物語』を持ち出すまでもなく西武や東急の創始者の子孫でも栄華は長期に続かないのです。ある程度の試練を受けつつ自分を鍛えてゆくのが良いのですが、あまり試練が大きすぎてそれに耐えられなくなれば、鍛えられる前にスポイルされてしまいます。 人生は良いことも悪いことも織りなされているのです。そしてそれらの経験を通じて自分を如何に形成してゆくかが大事なのです。 三輪山に詣で、神に愛でられる人は、どんなことがあっても、必ず三輪の神の天佑神助があります。三輪の神は世界の神々の中でも非常に優しい神であり、日本における最も力の強い神です。苦しい中にも必ず良きことを見せ、神が付き添っていることを示してくれます。 ただ私たちは三輪の神の願いであるところの美和と、三輪の強さを持たねばなりません。神と人、そして三輪に集う仲間たちの美和の心を三輪の強さで繋ぎ助け合い、互いに心を磨き上げ、三輪の神の心にかなう者となるよう、心がけていかなければならないと思います。