夜参り真言 平成29年7月11日
夜参り真言 平成29年7月11日
拝殿
何事も良きやうにはからひ給へ。
たまゆらこそ見失ふことなけれ。たまゆらの指し示す方向にのみ光が見えてくるであらう。
たまゆらが見えなくなった時を恐れるがよい。
解説
物が見えても本質がみえないことがある。例えば狭井で供えた酒が何本あるかはただ眺めているだけであってそれを病む人に届けるという気持があれば本数は自然に見えてくる。
狭井で供えた酒や翌日お山に持っていく酒には過去と未来がある。その未来に役立てる酒でなければならぬ。
見えている時はいいが、たまゆらが見えなくなった時は気をつけなければいけない。
心がくもっているからである。突然山に来なくなった時も、体が疲れていてとかいろいろ理屈をつけるが、その時は見えていないのである。見えなくなると今は私がこうして話しているが、そういう人には私の言葉も聞こえなくなる。
どこで目が覚めるかがむつかしい。山を離れていく時は「おかしい」と思わなくてはならない。
狭井神社
この社によく集ひ来た。
信じることの心強き者たちよ。神と人との関はりは信の一字にあると覚えよ。
信じきれる心の真を持つことこそ神に通ずるであらう。心に銘ずるべし。
神のしん(神)心のしん(心)信じるの
しん(信)を決して忘るることあるまいぞ
解説
最初この社に集ったのは偶然かもしれない。
しかしこの日来たということは偶然でも必然なのである。所謂、神のしんと自分を繋ぐ心のしん、この信じることに於いては頑固さが大切。
日頃、真言では心弱き者といわれてきたが、今回心強き者と褒められよかった。継続は
力であるなどかなりを教えてもらったが、人は忘れやすい。日本で生活できるということは国外と比べ日本は世情が安定しているので、何が起こってもたいしたことではない。
日本に於けるストレスは対人、仕事、プライドのストレスくらいで、国外の生死にかかわるほどのことではない。
神に対する祈りはまず感謝であり、神を
信じることである。